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フリースクールは教育機関か?
2025/09/01
みなさんこんにちは
先日、大阪市議会の教育こども委員会で長野県に行政視察に行ってきました。今日はその報告書も兼ねて「フリースクールは教育機関か?」をテーマにブログを書いてみたいと思います。既存の学校関係者からは「う〜ん・・・どうかなぁ」という反応が、フリースクールの関係者からは「時代遅れな質問だ」という反応が返ってきそうですが、あなたはどう思いますか?フリースクールの実情も含めて考察していきますので、ぜひ最後までお読みください。
まず、なぜ長野県でフリースクールかと言うと、長野県は令和5年度から全国に先駆けて、行政がフリースクールを認証する「信州型フリースクール認証制度」をスタートさせましたhttps://www.shinshu-freeschool.jp/about/#:~:text=%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E5%9E%8B%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%AA%8D%E8%A8%BC%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6,%E6%9C%88%E3%81%AB%E5%89%B5%E8%A8%AD%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
導入の目的は、近年増え続ける不登校の問題に対して、一つの受け皿としてのフリースクールに財政的な補助を行うために、ある程度質の担保をしたいということだと理解しました(視察初日:長野県庁にて制度導入の経緯や現状などを担当課職員と意見交換)
この制度の大きな特徴は、フリースクールを「居場所支援型」と「学び支援型」に大別し、補助金の額も【居場所型 < 学び型】となる制度設計になっている点です。(その他にも生徒の人数要件など、フリースクールとしての運営実態が担保されているかどうかを確認するチェック項目が複数あり)
ここまで書くと、長野県としてはフリースクールを教育行政の一端と捉えて、学び支援型のフリースクールが充実するように制度誘導しているという印象を受けるかもしれません。ところが、実際に県庁で担当課に尋ねると、そこまでの方針は持っていないようで、あくまで現状としてフリースクールの利用が増えていることについて、そこに一定の財政支援をしていくということであるようです。
ここで、現在不登校となっている子ども達への対応状況を整理しておくと、校内の別室(教育支援センター/サポートルーム)に登校するか、学校外の別施設である教育支援センターに通学する、または最近文部科学省が進めている「学びの多様化学校(不登校特例校)」への通学が用意されています。
「学びの多様化学校」は、通常の学校とは大きく違うカリキュラムで、一斉指導や予め決められた時間割に縛られずに柔軟な学びのスタイルが許容されている特別な学校で、大阪市でも令和6年に心和中学を開校しました。https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000634676.html
上の3つのいずれにも通学が難しい子どもが利用するのが民間施設であるフリースクールです。フリースクールには現在までこれといった定義がなく、人によってイメージするフリースクールの姿もまちまちです。実際、まずは家から出ることを目標に、1日中漫画を読んでいても良いし、テレビを見ていていもいいというスクールから、積極的にカリキュラムを組んで野外活動体験や学習支援に取り組んでいるスクールまで、その容態は本当にさまざまです。共通しているのはいわゆる「学校くささ」のようなものをできるだけ排除して、学校に対して高いハードルを感じている子ども達に「安心感」を与えることに腐心しているところだと言えるかもしれません。
地域の方や定年した教員の方が家でも学校でもない第三の居場所として、自宅などの一室で全く無償で運営している場合もあれば、子ども達に生きる力をつけることを目標に有償(保護者の費用負担)で運営されている場合もあります。
さて、ここで最初の問いに対する1つの答えを先に書いてしまいますが、「フリースクールは教育機関か?」という問いに対しては、教育機関と言えるスクールもあるし、そうとは言えない(ただ子ども達に安心できる居場所を提供することを目的に運営されている)スクールもあるということだと思います。
ただ、これで終わってしまっては議員の視察として何の意味があるのかというごもっともな叱責がはいりそうなので(笑)、ここからさらに論点を整理しながら県庁職員さんらと突っ込んだ意見交換を紹介します。
まず最初の論点として、行政がフリースクールの運営に対して「認証」を行うことの意味です。
フリースクールはその名の通り、それぞれの運営の理念に従って自由に運営されています。その運営を行政として(補助対象に)認められるものと認められないものに分けるということは、既存の教育の枠に疑問を感じて学校から距離を置いた子ども達のための居場所を、もう一度行政の方から教育の枠に入れていこうとする動きに見えます。それは、言い換えれば、フリースクールを教育機関の一部として位置付け、公教育の輻輳化の中で一つのレールとして機能させようという方向に舵を切ることになります。
平たく言えば、学校に行ってもいいし、フリースクールに行っても、子ども達は自分の力で生きていくだけの力を身につけられる、という社会に向けた取り組みを進めることになります。
その点、長野県の教育ビジョンをお伺いしましたが、明確なお答えはなく、ぶっちゃけたところで言うと、現状フリースクールに通う子ども達が多くなってきて、これまで細々と善意で運営されていたフリースクール側も運営経費などの厳しさを発言できるようになってきた、それを政治の側がキャッチして、公金を支出するためには質の担保(=認証)を、ということで差し当たり客観的に計測できる人数要件や開所日数などを軸に基準を定めたのかなと思います。(この辺りのぶっちゃけた話をさまざまなニュアンスも含めながら色々お聞きできるのは、オンライン会議が一般化した現在においても直接赴いて対面してお話しすることの最大の意義だと思います)
私自身、フリースクールの果たす役割は今の不登校がこれだけ多くなっている現状においては重要だと思いますし、財政的に補助することを100%反対するものではありませんが、フリースクールを行政が認証することには少し懐疑的です。
不登校対策の本来のゴールは全ての子ども達が安心して通える教育機関を行政が提供すること、つまり、不登校を0にすることであり、そのためにフリースクールの魅力的な部分を公教育が一部取り込んでいくことが理想解に近いんじゃないかと考えています。他方、多様なプレイヤーが存在するフリースクールを行政が認証していくと、例えば個人の思想信条に基づいて運営されているフリースクールや、日本の学校では通常教えない価値観を教えているスクールなどについて「運営内容を精査して選別する」ことが必要となってきます。言葉を選ばずに言えば、社会一般に許容され難い運営内容のスクールに行政がお墨付きを与えることはできないからです。そして、その社会一般に許容されるかどうかの判断基準はものすごーくセンシティブです。(公教育では学習指導要領がその役割を果たしています)
行政がフリースクールから学び、現在の不登校特例校のような取り組みが「現に不登校になっている児童」を対象にするのではなく、全ての子ども達が最初から自分に合ったスタイルの学校を選べるようになるのが理想だと思っています。(公教育の多様化についての取り組みはまた別のブログで発信していきます)
もう一つの論点が公金投入の正当性です。フリースクールという非常に曖昧な業態に対して公金を投入することは、公金投入の成果をどう測るのかという問題を孕みます。例えば居場所型のフリースクールに財政措置を行うなら、極端な例で言うと、学校に行きづらい子が、毎日漫画喫茶に通っていたとしたらそこはその子のサードプレイスですから、そこにも財政措置をするのかという議論をクリアする必要があります。学習支援型なら良いかと言えば、それなら学校の授業がつまらないからと学校に行かずに塾に通っている子からすれば、なぜフリースクールなら助成対象で、塾だと支援されないのか(何がどう違うのか)という疑問が起こります。
私の考えとしては、フリースクールを認証して施設に財政措置をするよりも、子ども達ひとりひとりにクーポンを配布して、それを自分のやりたい活動(行きたい施設)に利用できる塾代・習い事助成の制度にフリースクール事業者も加わってもらう方が、まだ公平性の議論はクリアできるように思います。
実際に学校以外の居場所を必要とする子ども達が目の前に居るという課題については、公教育がもっと柔軟になり、不登校児童・生徒が0になるまでの間、フリースクールを行政が支援することは必要だと思いますが、そこには「フリースクールとは子どもの成長にとってどんな成果のある場所なのか」という疑問に答えるだけのしっかりした議論が必要なのではないかと、頭の中を整理させていただいた、とても実りのある視察でした。
さて、みなさんはこの問題について、どう思われましたか?
それでは、今日はこの辺で。
(この後2日目には長野県内のフリースクールを実際に視察させていただき、運営者の方ともかなり突っ込んだ話ができました。教育に関する熱いやり取りを通じて人間関係も構築できたので、今後も引き続き意見交換を続けていきます)